本日は商品紹介ではなくARCHIVIO J.M. RIBOT(アルキビオ J.M.リボット)初となるイメージムービーをご紹介します。
そして小さく予告を。
来週あたりから2025年秋冬の新入荷を順次お披露目できる見込みです。
店頭・ONLINEともに準備が整い次第ご案内しますので、どうぞ楽しみにお待ちください。
それではご紹介を。
ヴィンテージの素材やパーツを用い、現代の衣服へと再構築するイタリアのブランド「アルキビオ J.M.リボット」。
WEBでの掲載を制限し、限られた店舗の店頭でしか全貌に触れられない——その“見えなさ”ゆえに、服好きの間では共通言語のように語られてきたブランドです。
そのアルキビオが、ついにブランド初となるイメージムービーを制作しました。
今回はその映像を、いくつかの手がかりとともにご紹介します。
デザイナーのカリムから届いた解説とヒント、そしてブランド名の起源に関する新事実も交えながら、作品世界の入口をHUESらしく整理してお届けします。
今回の映像は、単にコレクションを並べて見せるためのルックムービーではありません。
コンセプトや価値観を“視覚的な物語”として置き換え、観る人が没入しながらブランドの精神に触れられるよう構想された作品です。
映像全体の語彙は静かですが、その背後には明確な意志があります。
今季のコレクションの基盤には、現代の消費主義をめぐる考察があります。
満足を求め続けるうちに、私たちはしばしば過剰と断絶のループに陥ります。
アルキビオはそこに“批評”を差し込みます——
職人技への回帰、健やかなリズムを受け入れること、そしてサステナビリティへの誠実なコミットメント。
効率や大量生産から離れ、時間と手仕事が紡ぐ表現へ。
土地の記憶、人の営み、継承される文化としての“ものづくり”に立ち返ることで、本質的で誠実な幸福を再発見できるのではないか——
今季の問いは、そんな方向を示しています。
「J.M. Ribot」という名は、カリムが最初に収集した1920年代フランス製トラウザーズのタグに、手書きで記されていた持ち主の名に由来します。
同じ日に市場で見つけた傷んだ男性の肖像画と直感的に結びつき、イメージが固まりました。
“Archivio(アーカイブ)”は過去を保存するだけでなく、今へ受け渡す行為。
その名の成り立ち自体が、ブランドの姿勢を物語っています。
映像のキーとなるのがフェイスマスク。
過剰から生まれる歪みや、人が本質から離れていく感覚を象徴するオブジェとして登場します。
顔を隠すことで、むしろ“内側”が問い直される——アルキビオらしい逆説がここにあります。
「Happy Grave」
乾いた砂の上に咲く鮮やかな花。
そこで横たわるモデル。
表面の華やかさに対し、土壌は痩せている——
持続不可能な環境の上に咲く“儚い美”を示します。
美しさに本来必要な滋養が欠けたとき、何が残るのか。映像は静かに問いかけます。
「グロテスクな饗宴」
腐った食物を貪る場面。
そこに快楽はありません。
極端な消費主義の末路を、寓話的に可視化したシーンです。
“摂取=満足”が崩れるとき、空虚だけが残る——
そんな逆説を描いています。
※このほかにも複数の断章が差し込まれています。
アルキビオは“唯一の正解”を示すことより、観る人それぞれの解釈を歓迎しています。
余白にこそ、作品は息をします。
フェデリコ・フェリーニ『アマルコルド』や『魂のジュリエッタ』の、夢のような質感と現実の混ざり合いが今季の空気を形づくっています。
ノスタルジアは過去への逃避ではなく、現在を斜めから照らす光。
そのベール越しに、現実の輪郭がより鮮明に浮かび上がります。
アルキビオの服は、単なる“古いものの再生”ではありません。
素材やパーツの履歴を尊重しながら、現代の身体に合う設計に再構成する。
見せる/隠す、残す/削ぐの判断が一貫しており、時間の層を縫い合わせるように衣服が生まれます。
所有の瞬間から、着手の生活に呼応してまた更新されていく——
次のアーカイブへと育つ服です。
この映像は答え合わせのための説明書ではありません。
「なぜ不穏なのか」「なぜ美しいのか」を考える時間そのものが、作品への参加になります。
店頭では、映像や関連資料のご案内、コレクションの背景解説も承ります。
お気軽にお声がけください。
今季のテーマ “The Hypocrisy of Abundance(豊かさの偽善)” は、世界を声高に断罪するのではなく、日常の速度をひと呼吸だけ緩める提案です。
過去を保存するのではなく、今と未来へ手渡すために見つめ直す——
アルキビオの映像は、そのための静かな装置。
ぜひ、ご自身の解釈でお楽しみください。
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